世の中は合理的でもないし自由でもない

まあ、子供の頃から都市部で育ってて、中途半端にペーパーテストでいい点とれたりするとわりと合理性と自由主義の中で育っちゃうわけですよ。

両親が教育にお金かける人とかだったらそれこそ小学校から大学(院)まで20数年?育ちが良くて、教養があって、自由主義的な人たちに囲まれて、「ああ、世界には貧困と偏見と差別と独裁がはびこる国もあるけど、日本というのはそうではないんだ」、みたいな世界観できちゃうわけですよ。

で、一般企業に就職したりして、世界が広がっていわゆる中卒、高卒、名も知れぬ大学卒の人と交友関係ができて、ふとした瞬間に愕然とするね。

普通にいいおっちゃんが、あまり憎悪も込めずに「チョーセンジンが」とか「ば○ちょん」がとか馬鹿にした物言いしたりさ(俺が在日コリアンだったらどうすんだ、そのレベルの想像力もないのか)、一緒に仕事してるおっさんの会話がひたすらテレビと(どや気味の)株の話とかさ。

まあでもそれはそういうもんで、ネットで日々繰り返される相互憎悪とか、人権やら法治主義やらを嫌悪する政治家とか、嬉々として社内政治に勤しむ同僚とか(いいから仕事しろ)は正確に人々の姿を総和したものなんだろうね。

でも残された資料とか見る限り、たぶん戦後とか高度成長期とかはもっとエグかったっぽいし、漸近的に、行きつ戻りつしつつも少しずつ状況は良くなっているんじゃないかな。今はたまたまちょっと揺り戻してるだけだよ。うん。希望を捨ててはいけない。