妊娠中の高3女子生徒に体育の授業を要求 京都の高校、休学勧める

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.sankei.com/west/news/160615/wst1606150040-n1.html

これを読んで思ったことのメモ。

日本の場合、高校生が子供を産むのは非難されることらしい。一方で30歳を過ぎて子供を産む気配が無い人(女性)にも風当りが強いように思う。では社会的に何の非難も受けない「適切な」出産年齢は何歳なのだろう。

まず高校生は論外(適齢期は18歳以上)。

高卒も揶揄されることがあるので4年制大学は出ておく必要があるだろう。大学在学中に産もうものなら「学生の分際で」という非難が飛ぶので在学中は無理。当然、浪人・留年はできない前提(適齢期は22歳以上)。

就職浪人もせず就職するが1年目で妊娠しようものなら「仕事を舐めている」「所詮、女は腰掛け」という罵声が飛ぶので1年目は無理(適齢期は23歳以上)

2年目早々に妊娠して12月に産休ならまあ文句もでないか。ここから適齢期スタート。

で、まあ20代ならそうそう非難も浴びないだろうが、30になっても子供を産む兆しが見えないとだんだんプレッシャーがかかると。

ということは社会的な出産適齢期は24歳〜29歳の5年間ということになる。

生物学的にはまあ15歳〜40歳くらいまでの25年間が出産可能だとするとざっくり社会的制約で出産可能期間を1/5まで減らしているわけで。

それは少子化も進むし、日本も滅びるわと思いました。

議員は産休をとれるかどうか

蓮舫「もう一度、言う。マタハラ、制度があっても育休すらとれない現実もある。国会議員のすべき仕事は二人揃って給与全額保証の育休を優雅に取ることではなく、現実に向き合っている人たちを法改正で守ること、だ。この二人の考えを私は全く理解できない」

http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/renho_sha/status/679805060893650944

これな。
ついてるブクマ見ると反対している人も多いんだけど、けっこう「産休を取るとはけしからん」って賛同している人もいる。

でなんだろうなーって考えたら、たぶん国会議員が何なのかってところの認識が違うんだろうな。

反対している人は「国会議員」ってのはあくまで一般の人間(含む労働者)からサンプリングされた標本であり、代表であるっていう考えなんだろう。だから一般の人間が産休をとれるべきなのだから、そのサンプリングである国会議員も産休をとれるべきであるって考える。

で賛成している(議員が産休を取ることに反対している)人ってのは「国会議員」は選良であり、強者であり、弱い立場の労働者を守る「労働者とは違う立場」の人間、全体への奉仕者である、と考えているっぽい。

もちろん後者が間違っているというわけではない。戦前は収めた税金の額によって参政権が与えられたり、与えられなかったりしたわけで、議員というのは選良であり、強者であり、その議員が下々を(パターナリズム的に)庇護するべきだという考えにはそれなりに歴史的裏付けがある。

それに対して議員というのは弱者を含め、多様な人々のサンプリングであるという考えは(たぶん)歴史も浅いし、理想的で実態を反映していないのだろう。

だけど理想を語ることも政治の1つの役目なのではないだろうか?(と俺は思うけどね)

「ないほうがマシ」と言いつつそれを再利用するというのはおかしくない?

これな。

SICPを訳し直した

腐った翻訳に対する態度について

まず前提として言っとくと俺は趣味翻訳で小説を何冊かと技術マニュアルを2つゼロから訳してウェブで公開した経験があります(信じるかどうかはあなた次第)。

その経験から言うと下訳があるとないとでは翻訳の労力がかなり違うんだよね。適当に辞書から拾った単語が並んでいるだけでも少なく見積もっても2割くらい楽になる。

で、元リンク。言葉遣い(「腐ってる」とか)とかは別にどうでもいいんだけど「ないほうがマシ」って言ってるのに元翻訳からフォークして作業しているのは筋が通らなくない?

レポジトリも見たけどこれを「一から翻訳し直しました」って言っちゃうの?みたいな。

「誰が訳しても同じようになるものを除いて」って言い訳しているけど(そして本人はたぶん言い訳だとは思っていないけど)、もしかして「誰が訳しても同じようになるもの」は翻訳コストがゼロだと思っている?違うよ?そのコストは元翻訳者が払っているんだよ?

誤解されないように言っておくと「腐ってる」とか「クソの山」とか別に言ってもいいよ。だけどそれ(クソの山)の成果物を再利用して作ったものを「誰が訳しても同じようになるもの」と言い訳して「一から翻訳し直しました」と宣言しちゃうのはだめでしょ。

「ないほうがマシ」と言っちゃったからにはゼロからプロジェクトを始めましょう。

リベラルという語

リベラルという語に対して自分が持っている語感と、ネットで使われているリベラルという語のニュアンスがずれていることには気がついていた。

ずっとそれを言語化できなくて気持ちが悪かったんだけど、最近やっとわかった。

ネットでは「リベラル」って「新左翼」とほぼ同じ意味で使われているのな。

Wikipediaによると新左翼とは

"第二次世界大戦後の1960年代に、欧米や日本などの先進国において、急進的な革命を志向し、主に大学生や大学院生や青年労働者から構成された左翼的な政治運動や政治勢力のこと。"

自分は(古典的)自由主義進歩主義とか、あるいは少し意味はずれるけど中道左派的なニュアンスでリベラルを捉えていたのでずっとずれを感じていたことがわかってすっきりした。

ちなみに最近読んだリチャード・ローティの本には「リベラルとは人間の成し得る最悪の行為は残酷であることだとかんがえる人間のこと」みたいな感じで書かれていた。

世の中は合理的でもないし自由でもない

まあ、子供の頃から都市部で育ってて、中途半端にペーパーテストでいい点とれたりするとわりと合理性と自由主義の中で育っちゃうわけですよ。

両親が教育にお金かける人とかだったらそれこそ小学校から大学(院)まで20数年?育ちが良くて、教養があって、自由主義的な人たちに囲まれて、「ああ、世界には貧困と偏見と差別と独裁がはびこる国もあるけど、日本というのはそうではないんだ」、みたいな世界観できちゃうわけですよ。

で、一般企業に就職したりして、世界が広がっていわゆる中卒、高卒、名も知れぬ大学卒の人と交友関係ができて、ふとした瞬間に愕然とするね。

普通にいいおっちゃんが、あまり憎悪も込めずに「チョーセンジンが」とか「ば○ちょん」がとか馬鹿にした物言いしたりさ(俺が在日コリアンだったらどうすんだ、そのレベルの想像力もないのか)、一緒に仕事してるおっさんの会話がひたすらテレビと(どや気味の)株の話とかさ。

まあでもそれはそういうもんで、ネットで日々繰り返される相互憎悪とか、人権やら法治主義やらを嫌悪する政治家とか、嬉々として社内政治に勤しむ同僚とか(いいから仕事しろ)は正確に人々の姿を総和したものなんだろうね。

でも残された資料とか見る限り、たぶん戦後とか高度成長期とかはもっとエグかったっぽいし、漸近的に、行きつ戻りつしつつも少しずつ状況は良くなっているんじゃないかな。今はたまたまちょっと揺り戻してるだけだよ。うん。希望を捨ててはいけない。

組織がどうとか超どうでもいい

自分が住んでる国がどうとか、自分が務めている会社がどうととかよくわからない。

たぶん所属組織への忠誠心とかロイヤリティーとかがよくわからないんだと思う。個々人へのロイヤリティーとかはわかるんだけどね。

その組織に所属しているから無条件に忠誠心を求められても困る。

会社入って一年目の俺にさんざん人を馬鹿にするような態度とっといて利用価値がありそうと見るや「会社の将来についてもっと考えろ」とか。知るか馬鹿ですよ。

さんざん偏狭なナショナリズム誇示しておいて「国のために何ができるかお前も考えろ」とかね。とりあえずお前みたいなレイシストにNOというところから始めたいわ。

俺は俺自身と俺にとって大事な人たちと俺と友好にやっていこうという人たちのために行動するだけだ。それ以外の人間のために割いてやる時間などない。

お金を必要としない人ほどお金が集まってくる

基本的にお金ってのは他人に何かやってもらう時に必要になるものだ。

料理を作ってもらう、洋服を作ってもらう、家を作ってもらう、遠くに運んでもらう。

だから自分で自分に必要なことができる人はお金を必要としない。

他人の分まで何かやってあげるだけの余裕がある人にはお金が集まってくるし、自分のことを他人にやってもらわなければ生きていけない人からはお金が離れていく。

ここから所得再分配とかの話に持ってくこともできるけど、まあそれは今は置いておく。

大事なのはそのお金でお前は他人に何をやってもらいたいのか?ということだ。

他人への期待値が低い人間にはお金はあまり必要ない(たぶん)。